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 随筆リレー第一回   清水診療所 今村 陽一

志ありせば
清水診療所は平成19年度より、国民健康保険清水診療所から、個人開設の清水診療所となりました。
歴史的には、昭和26年、旧志津村が大森に志津村国保診療所を新設して診療を開始し、昭和30年の町村合併後も清水診療所として、継承されました。
その後昭和52年、開設時の診療所は鉄筋コンクリート二階建てに改築され、現在に至っています。
平成18年2月、清水町と福井市の合併により、一時福井市国保清水診療所と名を変えました。
私個人としては、国民健康保険の理念に基づく医療こそが、地域住民に対する最も経営的に安定し、継続性を持った医療を行うに足りる診療体制と信じており、清水総合支所長とも何回かの話し合いを行いました。
結果として、福井市の財政が厳しく、予算を絞られた形での経営と、自由で自立した経営を考え、家と、築34年の診療所を買い取り、開業に踏み切りました。

以上のように、開設主体は変わりましたが、清水診療所は清水診療所であり、53年の開設以降、男性の平均寿命を20年、女性の平均寿命を25年以上もの長寿を実現させたのは、乳幼児の予防接種からターミナルケアまで、地道に実行された、前任の清水郁郎先生、廣瀬俊男先生、布施田哲也先生、吉新通康先生という名医といえる先人の力があればこそと考え、この流れを変えることなく、健康長寿を今後30年で10年延ばすことを目標として地域医療を続けたいと思っています。
清水診療所を家付きで買ったことには、家族ごと地域に溶け込み、24時間体制で地域住民を守るという気持ちがありました。
子供の教育について、どうこう思っていた時もありましたが、夕食時でも入浴中でも、電話がなったら、体力の許す限り、往診や診療所での診察に身をささげる姿を見せる事で子供には十分な教育になると思っています。
大森は昔から交通の要衝であり、診療所から近い人については、例えばモチを喉に詰まらせて死にかけマギール鉗子で取り除いて今もなお存命な方もおり、スピード勝負の患者さんも多数助けています。
清水診療所のあるべき姿としては、地域全体を支える診療所でありたいと思っているので、在宅医療にも力を入れています。
呼吸器を付けている患者さんの為20km先の海岸まで往診に行くのは楽とは言えませんが、広域の往診を行っています。
学校医としての仕事が多いのも特徴の一つで、清水西小学校、清水北小学校、清水養護学校、越廼中学校、和敬学園、清水西保育園、清水東保育園、清水台保育園、越廼あけぼの学園の校医、園医となっています。
地域での子供の成長や健康状態の把握にも務め、問題があれば改善していきます。
地域医療を行う上で、大森町に診療所があることの利点は、大病院(福井赤十字病院・県立病院・済生会病院・福井循環器病院・丹南病院)などが近くにあり、病診連携により患者さんにとってベストな医療を提供できることです。
県民健康センターでの検診事業にも住民は受診しやすく、すこやかシルバー病院という認知症のスペシャリストにも紹介しやすい地域となっています。
文化的に大森町は、約800年の歴史のある国の重要無形文化財である睦月神事を4年に一回行っています。
この祭りには町の全員が参加し、町がひとつになるいい催し物があります。
また、町内には文芸絵画に優れた人も多く、清水診療所2階を『森の画廊』として開放したところ、多数の作品が寄せられています。
一度皆さんも見に来て下さい。 丹生郡医師会員として今後とも全力で仕事を続けて行くつもりです。
今後ともよろしくお願いいたします。